総合内装工事・リフォーム工事

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お知らせ

50周年によせて

2022 年 6 月 25 日

弊社は1972年(昭和47年)7月に創業し、昭和、平成、令和と時代が変わっていく中、2022年(令和4年)に、おかげさまで創立50周年を迎えることができました。
弊社がこれまで続けてこられたことは、多くのお客様からのご支援とこれまで会社に関わってこられた皆様の努力の賜物です。
この50年、弊社を支えてくださったそれぞれ専門工事の職人さん、資材を供給していただいた方々、そしてその他関連の全ての皆様にこの場を借りて感謝と御礼を申し上げます。
これからも皆様と共に歩みながら、更なる改善と努力を繰り返しお客様への期待に応えて参ります。これからもよろしくお願い申し上げます。

弊社は発足当初から、建設会社様より発注を請け、新築工事を中心に内装工事を行って参りました。並行して一般のお客様より、住宅の改築工事や店舗等の内装工事を請けることにも努力を続けて参りました。近年では、一般のお客様のみならず建設会社様からの改築工事のご依頼も増え、新築工事とならび弊社の仕事の主体となっています。

弊社の創業者は、1940年(昭和15年)宮崎県の出身。1961年(昭和36年)大学進学のため上京。大学在学中に内装会社「共英㈱(以下共栄に省略)」にアルバイトで働いたことがきっかけとなり、大学を卒業後そのまま就職。そして1971年(昭和46年)に退社、独立し、自宅で「伸和装飾(当時の社名)」を立ち上げます。1972年(昭和47年)に「伸和装飾 株式会社」として渋谷区幡ヶ谷(現在の所在地)に事務所を設立します。この時父親の日髙善行の人脈である、宮崎県出身で当時建設大臣だった瀬戸山三男先生のお力添えがあったと聞いています。
独立してからは、共英で培ったノウハウと人脈で営業活動を広げていきます。
当時、内装工事は、通産省の振興対象として急成長の途上にあった「インテリア産業」の一環として、高度経済成長と共に発達しました。
しかし内装に関する情報は一般的には少なかったようで、特に新築注文住宅の分野での内装工事における決定権は、施主よりも設計事務所の判断が強かったようです。
そのため設計者は内装会社に資料集めの依頼をして仕様を決定することが多かった、と聞いています。このような流れが後々、設計者から施主や建設会社を紹介していただき、仕事を受注する形に発展していきます。
創業から約10年の間に、建築家の吉永宏先生からは、㈱岩本組の鈴木元社長、横山元常務、藤沢元会長を、杏林大学附属病院の現場では、㈱竹中工務店の圓岡(まるおか)元関東支部長を紹介していただきました。また㈱野澤工務店の現場では、建築家の遠藤 楽 先生(※)の仕事をさせていただきました。
設計の先生方との出会いの多くは共英時代でした。独立後、共英の当時の社長であった大友欽也氏が一人の若者の将来のため自分の商圏であったお客さんとのお付き合いを快く許していただいたことが弊社の発展に繋がりました。
大友氏には、創業から10年後の1982年(昭和57年)、白雲閣で行われた伸和装飾10周年記念式典にご来場いただきご挨拶をいただいた、と聞いています。氏の共存共栄の心が無ければ、今日の弊社は無かったと思います。

創業者が設立当初から苦労したことの一つに必要な情報をどのように入手するか、ということがあったようです。インターネットで何でも情報を得られる昨今と違って、当時は人づてに得るしかありませんでした。この時代の材料問屋の営業担当者は内装会社にとって重要な役割を果たしていたと言えます。この材料問屋の助けを得て弊社は発展してきたことは想像に難くありません。そして設計事務所物件の現場を納めていったことで徐々に設計者、建設会社からの信用を得て営業を拡大していき、創業から12年後の1984年(昭和59年)には年商を約1億まで発展させます。
ところが思わぬ落とし穴がありました。翌年の1985年(昭和60年)ある業者の紹介で国際科学技術博覧会(通称:つくば万博)の近隣へカプセルホテル新築工事における内装工事を受注します。しかし予想外に来場者数が伸びず、カプセルホテルは閑古鳥であったことから元請けが破綻。工事費約1億円の負債を抱えます。このとき、関係者は「伸和装飾は終わった」と誰もが思ったそうです。
しかし、この非常事態にも多くの方々から支援をいただきました。父親、日髙善行の人脈の議員さんのお力添えで銀行から運転資金を調達。また妻、万知子の父親で広島県にて当時、林業と木造建築を営む豊北木材㈱の社長である高橋秀夫からも融資をいただきます。また材料問屋関係では、布団の西川や内田ゴム工業から手形の支払いを延ばす措置をしていただきました。そしてお客さんである㈱竹中工務店の圓岡様、㈱岩本組の横山様からは現場を発注するときに実際の工事金額よりも増額していただく形で援護をいただきました。創業者曰く、「本当に多くの人が助けてくれたんだよ」という言葉には感謝しても感謝しきれないぐらいの気持ちがこめられていたことを強く感じました。この時に助けていただいた方々のおかげで今日、弊社が存続できていることは決して忘れることができません。

そして1986年(昭和61年) 、時代はバブル期に入ります。日本経済は全盛期を迎え建築業界のみならず様々な産業が大きく発展したことはご承知の通りです。創業者、社員は必至の努力と決してあきらめない精神で仕事をこなした結果、おかげさまで無事に多くの借金を返済することができました。
それから7年後の1993年(平成5年)にバブル期は崩壊し、建築業界にも大きな影響を与えました。建設会社の統合や淘汰が進み、また、戦後復興期以降に次々と建てられた建物が耐用年数を迎えはじめ、リフォーム専門会社が開業するなど業界に変化が起こりました。ちょうどこの年の6月に私は入社いたしました。そして入社から14年後の2007年(平成19年)に代表に就任いたしました。この数年前から建築業界では不況が続き、この就任の年から翌年にかけて世の中はリーマンショック等で世界同時不況と呼ばれる時代になりました。建築業界でも価格競争がおき、値段を下げてでも仕事を受注する同業社も少なくありませんでした。手間のかかる設計事務所物件は「難しい仕事」として敬遠されたおかげで、むしろ弊社は創業からのお付き合いである設計事務所物件のご依頼を多くいただくことができました。設計事務所の難しい仕事を経験することで技術の向上や様々なノウハウを修得していったことと、その結果、同業他社との競争が少ない領域で一定の仕事量と価格を維持できたことは、創業から続く現在の弊社のスタイルに繋がっていると思っています。

この50年、廃業や淘汰が進む内装工事業界の中で弊社は生き残って参りました。創業者を始め従業員、職人さんその他関連の皆様が状況に応じて工夫して知恵を出し合い、決して諦めない精神で長年積み重ねた努力の賜物です。
建材や現場での作業内容は時代によって変わっていくので、常に臨機応変に対応し続ける必要があります。その一方、変わらないこともあります。それは「生身の人間同士が現場でモノを作り上げていく」ことへのこだわりであり、この点が弊社の強みであると思っています。弊社の理念である「人との調和」を大切にし、日々改善努力を行うことで社員一同発展を続けて参ります。今後とも皆様からのご支援ご指導を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

※遠藤 楽 先生(建築家)
 「共栄㈱」時代のお客さんの「㈱野澤工務店」で知り合う。帝国ホテルを設計した、
フランク・ロイド・ライトの弟子の遠藤新(あらた)先生の息子。㈱野澤工務店の現場でカーテン工事発注の施主を紹介していただく

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